◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第68回 イトウマキコさんへ
イトウマキコさんは元気だろうか。
小4から中3まで6年間住んだ家は、福島市北部の、今でこそ幹線道路が整備されショッピングセンターなどが多くできて便利な地域らしいが、昭和40年代はまだ新興住宅地と呼ぶのがおこがましいほどの僻地だった。
まだ東北新幹線は影も形もなくて、家の東側の自分の部屋の窓からは、当時は東京と東北を結ぶ大動脈だった東北本線が見えた。列車の照明や月の光の加減によるものなのか、夜、妙に列車の中の乗客の様子がはっきり見えることがあって、そのたびに不思議な気持ちになった。
家の南側は、目の前がりんご畑、その先がこんもりした栗林(けっこうヘビがいた)で、さらにその先には阿武隈川の支流の松川が流れていた。その川沿い1キロほど東には福島商業高校があり、当時そこは甲子園の常連校で、わが家の前を野球部員が走っている姿をよく見かけたものだった。
小学校は遠かった。近隣は家がまばらだし、道路の反対側は違う学区だったこともあり、連れ立って登校する子はいなかった。田んぼの中の一本道と、松川に架かる陰気な橋を渡っての登下校は、寂しいような怖いような気がすることもあった。
しばらく経った頃、近所に同い年の女の子のいる家族が越して来てその子と同じクラスになった。1学年が6クラスもあったのに同じクラスになったのは、偶然というより、辺鄙なところから通っている児童はまとめろという学校の采配だったかもしれない。それがイトウマキコさんだった。
マキちゃんは東京の目黒区から引っ越してきた。とはいうものの、おかあさんは関西の人とのことで、マキちゃんが話す言葉は、テレビから流れるいわゆる標準語とは少し違ってクセがあった。でも垢抜けた都会っ子であることは間違いなかった。
わたしたちはすぐに仲良くなり、登下校を共にするようになった。マキちゃんはお勉強が出来、絵もピアノも上手なしっかりした子だった。当時はわたしもわりあいそういうタイプだったので、マキちゃんの家に遊びに行くと(その頃はめずらしかった洋式トイレ設置のモダンな家だった)、マキちゃんのママ(親を「ママ」と呼ぶ友達は初めてだった)は「ふたりはいいライバルね」と言った。わたしの母親よりずっと若く、娘と友達を競わせるようなことをふつうに言うマキちゃんのママが、私はちょっとだけ苦手だった。
マキちゃんにはタカシくんという生意気な弟がいた。私の前でも突然勃発する姉弟の口喧嘩はけっこう激しく、ときには叩き合いにも発展した。学校では優等生のマキちゃんの豹変ぶりに、わたしはたじろぎ不快に思った。自分も気が強くわがままなこどもだったので近親憎悪だったのかもしれない。マキちゃんとの蜜月はそんなに長く続かないかも、と思った。
予感は当たった。具体的になにが原因だったかは覚えていない。「りぼん」と「なかよし」を月ごとに交代で買う制度を二人で決めたのに付録のせいで亀裂が入ったからかもしれないし、登校の際の待ち合わせ場所にいずれかが異議申し立てたからかもしれない。わたしたちは仲たがいをし、別々に登下校するようになった。同じ器楽部に所属してもいたのに、教室でも音楽室でもあまり話をしなくなった。小学校卒業まで同じクラスだったが、関係が修復することはなかった。
その後、マキちゃんとわたしは同じ中学に進んだが同じクラスにはならなかった。1学年が9クラスもあるマンモス校だったので、クラスが違えばよほどのことがない限り校内で見かけることはなかった。が、中3の冬、家の近くで偶然マキちゃんに会った。近所なのだから偶然でもないのだが、なぜか不意打ちをくらったようにびっくりした。だからだろうか、わたしたちはあたりまえのように言葉を交わした。
「月亭さん、福女(高校名の略称。今は共学になって名前が変わった)、受けるんでしょ?」
「うん。イトウさんもだよね」
「そう。試験、もうすぐだね」
そのときのわたしは、自分はその高校を受験するけれど、たとえ合格したとしてもそこには行かず、母親の実家である喜多方の高校に行ことになるかもしれないと思い始めた時期だったから、一瞬、彼女にそのことを言おうかなと思った。福島市を離れるかもしれないことは、まだ親しい友達にも言っていないことだったが、衝動的に言いたくなった。でも結局言わなかった。言わずに別れた。そしてそれっきりマキちゃんとは今日まで会っていない。
実は、この記憶が、実際にあったことなのか、夢なのかわからないのだ。わたしはマキちゃんと本当に偶然会って言葉を交わしたのだろうか。会ったことは事実としても、そんな会話をしたのだろうか。全部夢だったような気もする。願望がもたらした白日夢だったのかもしれない。
本当にあったことだとしたら、マキちゃんは高校で、あれ?合格したはずの月亭つまみがいないぞ、と思っただろうか。近所だから、わが家が一家離散したことを知っていた可能性もある。それはそれとして、わたしのことなど、あれ以来、一度も念頭に浮かばなかったかもしれない。
今、イトウマキコさんに会えたら、それを確かめたい‥のではなく(ないんかいっ!?)、言いたいことがある。
「小学生のわたしはマキちゃんをやっかんでいたのだと思う。仲良しには戻れなくてもちゃんと謝ればよかった。そして、たとえ夢だとしてもお別れを言えばよかった。ごめんね」
by月亭つまみ