【月刊★切実本屋】VOL.84 恩田陸『spring』はあれじゃね?
長くコンスタントに作品を発表し続け、その多くが高い評価を得ている恩田陸は、日本を代表するエンタメ小説家だと思う。膨大だと思われる読書量や、特に芸術分野の尋常ではない知識に裏打ちされた彼女の作品は、単に多くの読者を楽しませる、興奮させることのみならず、知識欲が満たされ、世の摂理の深淵さに対して敬虔な感情も誘発させられたりして‥要するに、複合的でちょっと格調高い読後感‥ぎりぎり嫌らしさを回避した‥が多かったりするのである。
その代表というか集大成が、2016年に直木賞と本屋大賞をダブルで受賞した『蜜蜂と遠雷』だということに異論を唱えるひとは少ないのではないか。
どんなにクラシックに造詣が深く、ピアニストに敬意を表し、取材を重ね、文献をひも解き、丹念に細心の心配りで物語を紡いだとしても、わずかなほころびやゆるみがすべてを台無しにしてしまうような繊細な世界を、あの完成度、リアリティで細部まで描き切るなんて本当に凄い。そこまで音楽がわかるものなのか、言語化できるものなのか、と圧倒&幻惑され過ぎて、読み終わったときは、満足感と同じくらい膨満感があった。いずれにしても「満」が尋常じゃなかった。恩田陸、怪物か?と思った。
そんな彼女が今年刊行したのが『spring』である。怪物が次に選んだターゲットはバレエだった。聞けば、編集者から「バレエの話を書いてみませんか」と打診されたのは十年前とのこと。その準備期間の長さと、怪物ぶりを知っている身としては、そりゃあ今回も「さぞや怪物ってるだろう」(造語)と覚悟はした。でもこっちの覚悟以上の世界を見ることになったのだった。
同じく芸術の世界に生きる若者が登場する小説でも、『spring』は『蜜蜂と遠雷』とはかなり違う。コンクールもライバルとの軋轢も登場人物の苦悩もほぼ描かれない。萬 春(よろず・はる HAL)という、バレエに魅入られバレエが魅入ったギフテッド(先天的に高い能力や特別な才能を持っている人)の男性をど真ん中に置いて、ひたすらバレエそのものが全Ⅳ章、章ごとに語り手を変える形式で描かれる。
登場するバレエの演目とその演出の描写は質・量ともに圧巻だ。これでもか、というほどで、作者が楽しんで書いていることが伝わってくる。特に、バレエから作曲の道に転身した七瀬(HALの叔父の稔が、HALと七瀬が醸し出す雰囲気を「ギフテッド・チャイルドのみが共有できる感覚」と評したりする)の章「Ⅲ 湧き出す」では、作者の手からまるで手品のように繰り出される数多の作品が目に見え音が聴こえるように紹介され、この章だけで、実際に幾度もバレエを観た気になった。
‥と、けっこうアツく語っているわたしだが、ここまで書いた紹介と感想はわりとどーでもいいのだった(なんだそれ?)。もっと読みたい気にさせるこの本の紹介記事は他にいくらでもあると思うし。自分が本当に書きたいのは実はここからだなのだった、と、もったいつけてみる。
恩田陸の作品でわたしがイチバン好きなのは30年近く前に書かれた『光の帝国 常野物語(とこの ものがたり)』だ。10ヵ月前に書いた記事⇒★でもそれを表明し、常野シリーズが3作で唐突に終わっていることへの不満を書いている。
で、で、ですよ、今回の『spring』を読んでわたし気づいてしまった‥かも。
もしかして
もしかして
『spring』は常野シリーズの新作じゃね?
そう思ったきっかけは意外と単純だ。常野シリーズがかの柳田國男の『遠野物語』にインスパイアされて書かれたというのは周知の事実だが、『spring』にこの『遠野物語』ががっつり登場するのだ。HALが七瀬に「遠野物語ってバレエになんないかな?」と言うのである。しかも、この流れからHALのバレエ‥というより「生きること」に対するテーマが「戦慄せしめよ」であることが明かされるのである。これは柳田國男が『遠野物語』の序文に書いた言葉なのである。
ねっ、これはもう、アレでしょ!
『遠野物語』と「戦慄せしめよ」が出てくるのは物語の後半だが、それ以降はたびたびこの言葉が登場し小説のテーマになっているとわかる。まるで、一度この言葉を出したことで、書き手のその後の方向性がカチッと決まったかのようで、その印象のせいか、この物語が遠野物語に内包されているようにも映る。
恩田陸ほどの書き手が『遠野物語』などという有名な作品を、紐づけしないで自身の複数の小説のテーマやモチーフにするかなあ、というのが「もしかしてこれも常野シリーズ?」の根拠だが、実は根拠がもうひとつある。昨夜あらためて『光の帝国 常野物語』を読んで気づいた。常野シリーズも、常野シリーズこそ、ギフテッド小説だったと。
常野シリーズでは、特別な能力を持つこと=生きづらい として描かれていることが多い。選ばれし者の悲哀というか。でも『光の帝国』の最終編「国道を降りて‥」はちょっと違う。そんな(めんどくさい)能力が未来への希望につながっているかもしれない‥と含みを持たせる終わり方なのである。
その答えがHALと彼を取り巻く人々なのではないか。
異端であることを隠して在野で誠実に生きようとしてきたかつてのギフテッドたちだが、時を重ね、時代をまたぎ、21世紀の現在、堂々と、自分の意思で自らの才能を究められる土壌になってきた。まだまだではあるけれど。そんな、かつて芽吹いた一筋の光とその後の努力の先にあるものが、HALであり「戦慄せしめよ」という能動的な言葉なのではないのだろうか。だとしたら、常野シリーズの長い沈黙期間も回収できる気がするし、今回の『spring』が常野シリーズということにならないっすかね。
常野シリーズに残尿感(また使った!)がある人はわたし以外もけっこういると思う。なので、今回の『spring』にその方向から快哉を叫んでいるひとがいるかも!いるにちがいない!と勇んで読後にネットを検索したが、今のところまだ両者を結びつけている文章は見つかっていない。
月亭つまみ